SSSS.DYNAZENON 第五話視聴メモ

このシリーズ記事も四回目、物語も折り返しに近づき、各登場人物の過去が次第次第に深堀されてきました。

初回の記事はこちら↓

cyber-moon.hatenablog.jp

 

第五話:[恋人みたいって、なに?]

漂うラブコメの波動。蓬と夢芽の恋愛フラグ。毎回のオニジャ瀕死ノルマ。そして水着回。今回は夢芽の姉の過去、稲本(旧姓)さんと暦の過去・現在、ちせの抱える問題が取り上げられました。怪獣優生思想の目的についても、以下で整理していきます。

 

夢芽の姉(香乃)の過去

今回、夢芽と蓬は、合唱部OBの瓜田と副部長に接触。その内容を整理すると……

 

・瓜田の限定公開の動画によるなら、姉(香乃)は合唱部ではよく笑っていた

(前回のOGの「明るい性格」との発言はある意味では正しいことになる)

夢芽の前で笑顔を見せなかったのは何故なのか?家族に見せる顔と合唱部員に見せる顔があまりに違っていたのは何故?

・副部長があくまで噂だとは断りつつも、香乃の死が「事故ではなく自殺」であると告げる

 

・プールで恋人がふざけ合って女性が転倒するシーンでは、夢芽のトラウマがフラッシュバック。姉は水門から水路に転落して水死したことが示唆される。

 

香乃の歪みを感じる描写が増えてきた。家庭と学校、どちらで見せた顔が本当のところの香乃の顔かは不明瞭だけれども、現状の家庭の綻びを鑑みるに、自分が思い浮かべた可能性は以下のようなものに。

 すなわち、夢芽にとっては円満な家庭に見えていたかもしれないけれども、実際の所は家庭の綻びを香乃が繕っていたというもの。上辺を取り繕っただけの、家庭崩壊的な状況は香乃の死によってさらに均衡が崩れたという線で説明ができる。家族の仲を取り持とうとした香乃は、「家族」に縛り付けられた状況にあった。高校の合唱部では辛うじて自分らしくいられた(仲間と笑い合ったり、積極的に合唱に取り組めた)が、それでも家庭の閉塞感は拭うことのできないものだった。崩壊寸前の家庭、その閉塞感に嫌気がさして自殺に至った。

(かなり詰めが甘い気はするが、今のところはこんな感じか)

 

稲本(旧姓)さんと暦の過去・現在

中学生時代、夜の学校で稲本さんがガラスを割り、暦がそれを目撃するシーンが前回(?)に確かあった。

過去の回想

今回の回想において、過去の稲本さんの屈折した性格が露見。暦を試すかのように「ガラスを割ったことを誰にも言わないんだね」「良いものを見せてあげる」と不穏な笑みを浮かべる。

 「ガラスを割ったのがバレたら退学になるかもしれない」云々の話などと合わせ、ここから伺えるのは、表向きは優等生として振る舞いながらも、裏では非行に走る稲本さんの姿。(思春期とは言え、かなり歪んでますねぇ。過去に何があったのやら。)

 いずれにせよ、中学時代との稲本さんとの関わりが暦をニートに追い込んだという点は否定できない。稲本さんが今の明るい雰囲気に変わる(中学時代とは打って変わった、明るい髪色やフランクな話し振り)裏で、暦の人生が代償にされたのかもしれない。

 

二人の現在

稲本さんは久しぶりに暦と会った時、「結婚してから戻ってきた」と言い、食事に行くことを約束。今回は街中の居酒屋で酒を酌み交わした。

以下、気になる点を挙げる。

・稲本さんが気持ちよく酔っ払うのに対し、暦は箸も酒もあまり進まない様子。稲本さんは明るい口調だけれども、暦は終始少し暗い雰囲気。形を変えて中学時代の不穏さを引きずっている印象。

・結婚して苗字が変わったことは言うものの、新しい苗字を言わない。挙句、「どうして結婚したんだろう」と言う始末。結婚からかなり時間が経っているとは言え、男女二人で飲みにいくことにも全く抵抗を覚えてはいない。

 

稲本さん、実はDVをする夫から逃げて帰郷したとか、そういう複雑な事情を抱えてたりする?離婚したいけど相手が同意しないからできないとか?現在進行形で問題を抱えているのでは?

 稲本さんにとっては、中学時代も現在も、暦がありのままの自分を受け止めてくれる関係性が心地よいのかもしれないが、

*1そのことによって暦が背負うものがどんどん膨れ上がっているように感じる。

 

ちせの抱える問題

最初から不登校であることが明瞭であったものの、その問題の根深さが透けて見える今回。第三回のボイスドラマだったり、今回のプールの件だったり、常に明るい雰囲気で話してはいるものの、前かけにアームガードという特徴的な服装、その意味は個性を反映したものには留まらなかった。

 更衣室で夢芽と会話するシーン(このシーンは夢芽のトラウマ的な過去へと回想を繋げるための導線の役割も担っているわけだが…)。夢芽は、ちせが水着になってもアームガードを外さないことに気づく。

 理由は単純で傷を隠すため。恐らく自傷行為の傷だろう。不登校の理由は不明なものの、自傷行為に及ばないと解放される気分がしないほどの重荷を負ったのではなかろうか。

 

怪獣優生思想について

かなり理性的な雰囲気でもって振る舞っていながら、遂行するのは一種のテロリズム

 早く帰ることだったり、温泉に浸かることしか頭にないムジナの様子、怪獣について包み隠さず語るシズムやジュウガの様子(ジュウガは打算的だが、対照にシズムは自分の興味で行動)、ガウマを倒すことしか眼中にないオニジャの様子。個々人向く方向はてんでバラバラ(ボイスドラマ第5.5回での東京ビーチランドでの自由行動もそれを象徴)。

 優生思想との名前とは裏腹に、過激な雰囲気は普段の振る舞いからは微塵も見えないし、怪獣の思想に対して狂信的な雰囲気も感じ取れない。戦闘狂のオニジャ以外はガウマとの戦いにあまり執着しない様子。第三回で「怪獣の思想で動いている」との説明がガウマからされたが、使命感を帯びている様子もなく、戦闘後すぐに解散する様子からも、怪獣を操ることを単なる雑務としか感じていない印象

 シズムは人が他者に縛られたり、自分を縛ったりしながら生きていることを指摘。その上でそこから生まれる情動が怪獣を育てると分析怪獣を使って人々を様々な軛(くびき)から解き放つことが第一義的な目的なのだろうけど、それにしては行動が思慮に欠けるし恣意的すぎるのではないだろうか?

 「龍のオブジェを託した女の人にまた会いたい」という明確な目的を帯びたガウマ(迷走しがちだが)とは違って、(前作で感情任せに怪獣を生み出したアカネとも違って)理性的な振る舞いをしながら行き当たりばったりに見える行動をするさまは大変気味が悪い

 

その他感想など

他の方が書かれたサイトなどを見ると、初回に漂うかなり陰鬱な雰囲気が、第二回以降の明るい雰囲気によって打ち壊されたとの感想を抱いた人をちらほら見かける。私も同じく第二回を見た時はせっかくの設定を台無しにしちゃったか……、と残念な気持ちだった。

 しかしながら、物語を追うにつれ、その指摘は不適切な気がしてきた。

 今作では、怪獣について説明するシズムが、今のところ世界の案内人的な役割を果たしている。前回も今回も、シズムが語ったのは(高校や恋人の関係について)「表面上は自由に見えても、気づかないだけでかなりの不自由が存在している」ということだ。第二回以降の描写の仕方もこの発言と合致する。

 表面上は気丈に振る舞っているし、実際のところ、主要人物の四人(蓬、夢芽、ちせ、暦)は次第に打ち解けているが、その裏で通奏低音として各人の問題が存在している(蓬は親の再婚問題、夢芽は姉の過去に縛られ、ちせはまだ理由は見えないが不登校、暦は稲本さんとの過去を引きずる)。

 現代っ子は昭和の不良青年ほど分かりやすい非行には走らない(稲本さんみたいに学校の窓ガラスを割るような行為はほぼ見かけない)し、家庭の問題も見えづらくなってきている。現在の社会に巣食う見えにくい軛を描こうとしているのであれば、この描き方はかなり現実に即しているとの評価ができるのではなかろうか。

 

 以上に挙げたような「世界の憂鬱」に向き合う点で登場人物たちの目的は一致しているが、問題そのものに真摯に向き合おうとするダイナゼノン陣営と、問題を生み出す社会そのものを衝動的に破壊しようとする怪獣優生思想陣営。二つのアプローチはかなり対照的だ。

*1:第六話でこの線はほぼ否定される